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【映るとも】天狗芸術論・猫の妙術【月も思わず】 [その他]

『新釈 猫の妙術』が面白かったので原文を読んでみたくなり、
『天狗芸術論・猫の妙術』を入手して読んでみた。
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「猫の妙術」を目的として購入したのだが、「天狗芸術論」が更に深堀りした感じで面白い。
「天狗芸術論」を読ますために「猫の妙術」が書かれたんじゃないか?と思わせる内容だった。

「天狗芸術論」の芸術とは武芸つまりは剣術のことをいう。
行き詰まりを感じる剣術者が天狗に剣術の教えを乞うといった内容のお話だ。

と、ここまで書いて2か月近く経ってしまった。
読めば読むほど理解が進むのだが、そのたびに言葉にするのが難しくなってしまう。
どう紹介して良いのやら分からなくなってしまったのだが、
具体的に「気」について書かれてる部分があって、
それを続けていたら身体的にも変化があったので、それを紹介しよう。

先づあふのけに寝て肩を落し、胸と肩とを左右へ開き、手足をこころのままに伸べ、手を臍の辺り虚欠の所に置き、悠々として万慮を忘れ、とやかくと心を用ふることなく、気の滞りを解き、気を引さげ、指の先までも気の往きわたるやうに気を総身に充たしめ、禅家の数息観のごとく呼吸の息を数へ居るに、初めの内は呼吸あらきものなり。漸々に呼吸平らかになる時、気を活して天地に充つるがごとくすべし。息をつめ気を張るにはあらず、気を内に充たしめて活するなり。

おお!これは『日本の弓術』での丹田呼吸法を別角度で具体的にしてくれてるじゃないか!
「胸と肩とを左右へ開き」って所が『日本の弓術』で述べられてなかったな。
これを続けていると気が活してくるぜ!を教えてくれている。
かくの如くすること五七日或は十日二十日のうちに修して、みづから快きことを覚ゆべし。快き時は猶々此術を行ふべし。気収まりたらば気を活すべし。惰気にひかるべからず。気総身にみつるが如くわづかに心を活すれば、気活するものなり。

んで、ワクタクシの場合は二十日どころが2カ月ほどかかってしまったのだが、
身体に具体的に変化が現れてきてくれた。

この猫背の頂点の詰まり(具体的には記事『胸を出して走る』参照)は、
解消しつつあると思っていたけど、これで完全に胸部の力みが取れればいいなと思う。

「天狗芸術論」では「気」を修してというのを繰り返し繰り返し述べている。
「事(わざ)は気をもって修し、気を心を乗せて動くものだから無心でなくてはならない」
というようなことを表現を変えて繰り返し繰り返し教えてくれる。
しかし、
事(わざ)は習熟にあらざれば気こつて形自在ならず。

と事(わざ)の習熟がなければ気は滞るものだ、とも言っているので、
鶏が先か卵が先か、みたいな話になってきて、
分かったような分からないような感じになってしまう。
この辺は頭で考えるのではなく「体得」すれば自然と納得できるものなのだろうと思う。
今の芸者、心体不動の応用無礙自在なる所をしらず。意識の巧を用ひて末の事に精神を費やし、是を以て自ら得たりと思へり。

江戸の中期でも、このような言われようなのだから、現代では更に遠い世界なのかもしれない。
でもまあ知ってしまったからには目指さずにはいられないよね。
敵に向つて生を忘れ、死をわすれ、敵をわすれ、我を忘れて、念の動ぜず、意を作さず、無心にして自然の感に任するときは、変化自在にして応用無礙なり。

この無心とか無我の境地が今でいうフロー状態の一種であると思われる。
(フローについては記事『【ちょっとフローに】超人の秘密その1【入ってくる】』参照)
それこそ自在にフローに入れるのが条件となりそうなので、
道は遥か遠い。

だが、とりあえずは「気」の修し方は教えてくれているので、
それを手がかりにどうにか無心・無我に近づけるように精進していきたい。

また無心に関して短歌を用いてヒントをくれているので最後に紹介したい。
うつるとも月もおもはずうつすとも水もおもはぬ広沢の池

此御歌の心にて、無心自然の応用を悟るべし。又一輪の明月天にかかつて、万川各一月を具ふるがごとし。光を分けて水にあたふるにはあらず。水なければ影なし。亦水を得てはじめて月に影あるにあらず。万川にうつる時も一水に移らざるときも、月において加損なし。又水の大小をえらぶことなし。是を以て心体の妙用を悟るべし。


『猫の妙術』を読んで面白いと思った人には是非是非おススメの本だと思う。

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