【宮本武蔵】今日は昨日の我に勝ち【五輪書】 [ランニング]
今更ながら宮本武蔵の「五輪書」を読んでみた。
ランニングにも活かせそうな記述が幾つかあり大いに参考になるので紹介したい。
1行に要約すると、
「道理」を得て、「拍子」を知ることこそものの上手なれ
ということらしい。
その道理を得るには「鍛錬」が必要で、
それにはまあ30年はかかるだろうね、ということだ…。
この言葉は、5年6年と走ってきて、
「そろそろブレークスルーがあっても良いと思うの」
なんて考えていた自分への戒めでもあり励ましでもあると感じている。
具体的にランニングに活かせそうな記述は、
という所が参考になりそうだ。
上手く走れている時は、
上半身では肩が下がり首が伸びていることが多いのでこの記述と重なり、
下半身ではど根性ガエルみたいに腹に引っ張られてる感じが重なっている。
「膝より足先まで力を入れて」という所は(今の所)全く実感がない。
また次の記述は走る時の視線について自分のやろうとしていることと重なる。
「観の目」とは視界の全体をくまなく見ている状態のこと(だと思う)で、
「見の目」とはじっと一点を集中してみている状態のこと(だと思う)、
と捉えてもらえれば良いかと思う。
走る時には、
視線を遠く前方に置きながら周辺視野で足元や視界ギリギリの過ぎ行く風景をみる、
ということをやっている(というかやろうとしていて中々できないでいる)。
これが上手くいっている時はカメラのフレームで動画を見ているように見えて、
言葉で表しがたい感覚になるので、フローに入るための近道だと思っている。
また、足の運びについては、
とある。
この辺の所はやっているような気もするし、自分の感覚とは合致していないようにも思える。
ので、頭の片隅に置いておけば、
そのうちに「ああ!このことか!」となるかも知れない。
【追記】
少し進展があったので記事にしました。
『【宮本武蔵】踵を踏むということ【五輪書より】』
【追記終わり】
具体的な動きのことではないけど、「速く」ということにこんな記述もある。
これも今やっていることと重なっている。
着地直前の間を意識するようになってから、
同じスピードでもピッチが遅くなり歩幅が広がっているのがガーミンのデータからも分かる。
何にしろ技術が上がるにつれて簡単そうにやっているように見えるのと通じると思う。
これらの具体的な身のこなし方もさることながら、
宮本武蔵の思想も随所にみられて、その人柄をしることができる。
この「五輪書」は全て武蔵自身の言葉で書かれており、
仏教や儒教、それ以前の軍記や兵法の記述を用いることがないという。
武蔵の説いた兵法を実践する時の注意事項みたいな記述も参考になる。
ただ単に「五輪書」から習うのではなく、自分で見出したものと思って工夫しなさい、
と武蔵は言っている。
この言葉は今自分がやっていることへの自信にもなり励ましにもなって、嬉しく思う。
走る時だけ姿勢を気をつけるのではなく、
普段の暮らしの中でも走る時の姿勢や動きを意識して生活する、
ということをやっているつもりだったけど、
武蔵のこの言葉によって更に強くそう思うようになった。
特に「観の目」「見の目」は走る時か自転車に乗る時だけしか意識してなかったのが、
やってみようと思えば普段の生活の中でも意識することができることが分かった。
しかし、それが結構難しいということも武蔵は言っている。
日常でもそうだけど、走っている時でさえすぐに忘れてしまう。
意識するのを忘れてしまっても、繰り返し繰り返し根気強く続けていくことが大切だろう。
また自分が使う道具についても自分に合うように工夫しなさいと言っている。
ワラーチも違和感を感じたらどんどん自分で工夫して変えていかなければ、と思う。
「速く」についての記述にもあるように、五輪書では何かにつけて「拍子」という言葉が出てくる。
この拍子をとらえることができるように、ならなければいけないのだが、
というように拍子を得るには「鍛錬」が必要だと説く。
そして冒頭の言葉に戻るのだが、それには万日かかるという。
「今日は昨日の我に勝ち」1日1日少しずつでも昨日よりも成長するようにして、
明日には下手な人に勝てるようになり、いずれは上手な人に勝てるように過ごし、
千日(約3年)の稽古を10回繰り返せば(30年!)鍛錬したと言えるようになるということだろう。
たった5~6年で結果を出そうなんて思うなよ!と言ってくれているのだろう。
まだ25年くらい余裕があるからゆっくり成長していこう!と思う。
この毎日の稽古を継続していくには「努力」ではなく、
面白いものを追求していく姿勢が必要なんじゃないかなと感じている。
これが結構楽しいのだが、今までのクセで苦しい状況になると「努力」感が出てきてしまう。
その辺の心の動きにも日常から目を向けられるようにしていきたい。
「拍子」と共によく出てくる表現が「道理を得て」ということ。
これは、物理とか生理学的に、そうすればこうなるという自然な法則に従って、
ということだと思われる。
身体の真下で着地すれば、ブレーキがかからず楽に速くはしれますよ、とか、
腹に力を集中させれば四肢の余計な力が抜けてスムーズに動かせますよ、とか、
身体の縦横アーチを作ればそれがバネとなって弾むように走れますよ、とかいったように。
ただこれらの「道理」を得てもそれに捉われすぎてはいけないとも、武蔵は言っている。
「道理を得ては道理をはなれ」客観的に自分を見なさいということだろうか。
鍛錬を続けて時期がくれば「拍子」を知ることができて、
剣術においては自ずから打てば、自ずから当たるという、
自然とそうなってしまう状態になれるのだろう。
そうなれるように、毎日鍛錬を重ねるようにしていきたいと思う。
五輪書のように古い書物を読む時に誰の目を通して、
それを読むのかでとらえ方がだいぶ違ってしまう。
今回僕が手に取ったのが、NHKの「100分で名著」のシリーズで、
魚住孝至氏がかかれたもの↓
これを読んで、放送された動画も見た上て、文庫本を購入した。
偶然だか必然だか、魚住氏は『日本の弓術』の新約『弓と禅』も書かれていることを知り、
とても嬉しく思う。
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ランニングにも活かせそうな記述が幾つかあり大いに参考になるので紹介したい。
1行に要約すると、
「道理」を得て、「拍子」を知ることこそものの上手なれ
ということらしい。
その道理を得るには「鍛錬」が必要で、
それにはまあ30年はかかるだろうね、ということだ…。
千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。
この言葉は、5年6年と走ってきて、
「そろそろブレークスルーがあっても良いと思うの」
なんて考えていた自分への戒めでもあり励ましでもあると感じている。
具体的にランニングに活かせそうな記述は、
くびは、うしろの筋を直に、うなじに力をいれて、肩より忽身はひとしく覚え、両の肩をさげ、背すじをろくに尻を出さず、ひざより足先まで力を入れて、腰のかがまらざるやうに腹を張り、…
という所が参考になりそうだ。
上手く走れている時は、
上半身では肩が下がり首が伸びていることが多いのでこの記述と重なり、
下半身ではど根性ガエルみたいに腹に引っ張られてる感じが重なっている。
「膝より足先まで力を入れて」という所は(今の所)全く実感がない。
また次の記述は走る時の視線について自分のやろうとしていることと重なる。
観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見ること兵法の専也
「観の目」とは視界の全体をくまなく見ている状態のこと(だと思う)で、
「見の目」とはじっと一点を集中してみている状態のこと(だと思う)、
と捉えてもらえれば良いかと思う。
走る時には、
視線を遠く前方に置きながら周辺視野で足元や視界ギリギリの過ぎ行く風景をみる、
ということをやっている(というかやろうとしていて中々できないでいる)。
これが上手くいっている時はカメラのフレームで動画を見ているように見えて、
言葉で表しがたい感覚になるので、フローに入るための近道だと思っている。
また、足の運びについては、
足のはこびやうの事、つま先を少し浮けて、きびすをつよく踏むべし。
とある。
この辺の所はやっているような気もするし、自分の感覚とは合致していないようにも思える。
ので、頭の片隅に置いておけば、
そのうちに「ああ!このことか!」となるかも知れない。
【追記】
少し進展があったので記事にしました。
『【宮本武蔵】踵を踏むということ【五輪書より】』
【追記終わり】
具体的な動きのことではないけど、「速く」ということにこんな記述もある。
はやきという事は、物毎に拍子の間にあはざるによって、はやきおそきと云心也。その道上手になりては、はやく見へざる物也。
これも今やっていることと重なっている。
着地直前の間を意識するようになってから、
同じスピードでもピッチが遅くなり歩幅が広がっているのがガーミンのデータからも分かる。
何にしろ技術が上がるにつれて簡単そうにやっているように見えるのと通じると思う。
これらの具体的な身のこなし方もさることながら、
宮本武蔵の思想も随所にみられて、その人柄をしることができる。
この「五輪書」は全て武蔵自身の言葉で書かれており、
仏教や儒教、それ以前の軍記や兵法の記述を用いることがないという。
今、此書を作るといへども、仏法・儒道の古語をもからず。軍記・軍法の古きことをももちひず、此一流の見立て、実の心を顕す事、天童と観世音を鏡として、十月十日之夜、寅の一てんに、筆をとって書初るものなり。
武蔵の説いた兵法を実践する時の注意事項みたいな記述も参考になる。
此書き付けたるを、我が身にとって書き付けを見るとおもはず、偽物にせずして、則わが心より見出したる利にして常にその身になって能々工夫すべし。
ただ単に「五輪書」から習うのではなく、自分で見出したものと思って工夫しなさい、
と武蔵は言っている。
この言葉は今自分がやっていることへの自信にもなり励ましにもなって、嬉しく思う。
兵法の身において、常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とする事、肝要也。
走る時だけ姿勢を気をつけるのではなく、
普段の暮らしの中でも走る時の姿勢や動きを意識して生活する、
ということをやっているつもりだったけど、
武蔵のこの言葉によって更に強くそう思うようになった。
特に「観の目」「見の目」は走る時か自転車に乗る時だけしか意識してなかったのが、
やってみようと思えば普段の生活の中でも意識することができることが分かった。
しかし、それが結構難しいということも武蔵は言っている。
いそがしき時、俄(にわか)にはわきまへがたし。
日常でもそうだけど、走っている時でさえすぐに忘れてしまう。
意識するのを忘れてしまっても、繰り返し繰り返し根気強く続けていくことが大切だろう。
また自分が使う道具についても自分に合うように工夫しなさいと言っている。
人まねをせず共、我心に随ひ、武道具は手にあふやうにあるべし。
ワラーチも違和感を感じたらどんどん自分で工夫して変えていかなければ、と思う。
「速く」についての記述にもあるように、五輪書では何かにつけて「拍子」という言葉が出てくる。
この拍子をとらえることができるように、ならなければいけないのだが、
物事に付、拍子はあるものかれども、とりわき兵法の拍子、鍛錬なくしては及びがたき所也。
というように拍子を得るには「鍛錬」が必要だと説く。
そして冒頭の言葉に戻るのだが、それには万日かかるという。
けふはきのふの我にかち、あすは下手にかち、後は上手に勝とおもひ、この書物のごとくにして、少もわきの道へ心ゆかざるやふに思ふべし。千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。
「今日は昨日の我に勝ち」1日1日少しずつでも昨日よりも成長するようにして、
明日には下手な人に勝てるようになり、いずれは上手な人に勝てるように過ごし、
千日(約3年)の稽古を10回繰り返せば(30年!)鍛錬したと言えるようになるということだろう。
たった5~6年で結果を出そうなんて思うなよ!と言ってくれているのだろう。
まだ25年くらい余裕があるからゆっくり成長していこう!と思う。
この毎日の稽古を継続していくには「努力」ではなく、
面白いものを追求していく姿勢が必要なんじゃないかなと感じている。
これが結構楽しいのだが、今までのクセで苦しい状況になると「努力」感が出てきてしまう。
その辺の心の動きにも日常から目を向けられるようにしていきたい。
「拍子」と共によく出てくる表現が「道理を得て」ということ。
これは、物理とか生理学的に、そうすればこうなるという自然な法則に従って、
ということだと思われる。
身体の真下で着地すれば、ブレーキがかからず楽に速くはしれますよ、とか、
腹に力を集中させれば四肢の余計な力が抜けてスムーズに動かせますよ、とか、
身体の縦横アーチを作ればそれがバネとなって弾むように走れますよ、とかいったように。
ただこれらの「道理」を得てもそれに捉われすぎてはいけないとも、武蔵は言っている。
道理を得ては、道理をはなれ、兵法の道におのれと自由ありて、おのれと奇特を得、時にあいては、拍子を知り、おのづから打、おのづから当たる。
「道理を得ては道理をはなれ」客観的に自分を見なさいということだろうか。
鍛錬を続けて時期がくれば「拍子」を知ることができて、
剣術においては自ずから打てば、自ずから当たるという、
自然とそうなってしまう状態になれるのだろう。
そうなれるように、毎日鍛錬を重ねるようにしていきたいと思う。
五輪書のように古い書物を読む時に誰の目を通して、
それを読むのかでとらえ方がだいぶ違ってしまう。
今回僕が手に取ったのが、NHKの「100分で名著」のシリーズで、
魚住孝至氏がかかれたもの↓
宮本武蔵『五輪書』 2016年5月 (100分 de 名著)
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2016/04/25
- メディア: ムック
これを読んで、放送された動画も見た上て、文庫本を購入した。
宮本武蔵「五輪書」 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 2012/12/25
- メディア: 文庫
偶然だか必然だか、魚住氏は『日本の弓術』の新約『弓と禅』も書かれていることを知り、
とても嬉しく思う。
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タグ:走る姿勢ランニングフォーム 本
1月まとめ [まとめ(月間・年間)]
1月は31日中11日で132㎞走った。少なー。
でもサボり始めた頃の走力には戻ってきたので良しとしよう。
実はですねー、
最近、宮本武蔵の『五輪書』を読んいて、
自分が取り組んでいることと重なる点が結構あってニンマリしている所。
遠くを見ながら周辺視力で足元や過ぎ行く風景を見るのは、
「観の目、見の目」として書かれているし、
首を伸ばして(直にして)肩を下げるというのも、
(忘れてたけど)走りやすい姿勢として意識していたし、
腰がかがまらないように腹を張るというのが、
今まさに取り組んでいる腹圧をかけるということにつながっている気がする。
武蔵は速く刀を振ることを意識してはいけないということも言っていて、
「その道上手になりては、はやく見えざる物なり」とランニングにも通じるなと感じている。
そのための「着地直前の間」なのかも!と一番のニンマリポイントがここ。
等々、『五輪書』はランニングの指南書としてもハマるんじゃないかと思う。
『五輪書』については、その内にひとつの記事にしようと思っている。
(けど、内容が濃すぎてどうまとめて良いのか分からないのでいつになることやら…。)
ずっと我流で走ってきたのだけど、ある程度の指南書みたいのが欲しかった。
それが見つかったのは大収穫じゃなかったのだろうか。
神足歩行術について書かれた小説や、
『日本の弓術』フローについて書かれた『超人の秘密』に続いて良書に出会えたことに感謝しよう♪
ある程度、闇雲感から解放されたように思う。
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でもサボり始めた頃の走力には戻ってきたので良しとしよう。
実はですねー、
最近、宮本武蔵の『五輪書』を読んいて、
自分が取り組んでいることと重なる点が結構あってニンマリしている所。
遠くを見ながら周辺視力で足元や過ぎ行く風景を見るのは、
「観の目、見の目」として書かれているし、
首を伸ばして(直にして)肩を下げるというのも、
(忘れてたけど)走りやすい姿勢として意識していたし、
腰がかがまらないように腹を張るというのが、
今まさに取り組んでいる腹圧をかけるということにつながっている気がする。
武蔵は速く刀を振ることを意識してはいけないということも言っていて、
「その道上手になりては、はやく見えざる物なり」とランニングにも通じるなと感じている。
そのための「着地直前の間」なのかも!と一番のニンマリポイントがここ。
等々、『五輪書』はランニングの指南書としてもハマるんじゃないかと思う。
『五輪書』については、その内にひとつの記事にしようと思っている。
(けど、内容が濃すぎてどうまとめて良いのか分からないのでいつになることやら…。)
ずっと我流で走ってきたのだけど、ある程度の指南書みたいのが欲しかった。
それが見つかったのは大収穫じゃなかったのだろうか。
神足歩行術について書かれた小説や、
『日本の弓術』フローについて書かれた『超人の秘密』に続いて良書に出会えたことに感謝しよう♪
ある程度、闇雲感から解放されたように思う。
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