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竹川竹斎 [走る人]

『走る人』カテゴリー3人目は竹川竹斎。

竹斎(1809~1882年)は、伊勢商人竹川家に生まれた。
近江の矢野守祐から神足歩行術を習ったという。

神足歩行術とは、
1日何千里も飛ぶように歩いて、少しも疲れない術であったという。
天狗の術とも言われ、山で修業する山伏が伝えていたもので、
近江商人や伊賀や甲賀の忍者たちもこの術を使って、全国を旅して情報を集めていたらしい。
伊勢商人の竹斎も旅のために歩行術を習ったのだろう。
(海野弘著『江戸ふしぎ草子』より)

ある時、竹斎が江戸の店(支店?)に大至急手紙を届けたい用があり、飛脚屋を呼んだ。
飛脚屋が言うには、特別の早使でたった3日で届けましょう、その代わり5両かかりますと。
この3日というもの、何人かが交代で引継ぎ走ってのことなのだが、
竹斎は、だったら私一人でひとっ走りしてきたほうがいい、と言って、
翌朝伊勢を立ち3日で江戸を往復して伊勢に戻ってきたという。
片道500㎞、往復で1000㎞を3日で往復するとは、今の常識では考えられないが、
江戸時代には1日は300~400㎞移動したという話が結構あるらしい。

今でも体操の白井選手が宙返りしながら4回ひねるとか、
文字だけで見せられたら「人間に出来るわけじゃいじゃん」と思われる技を
テレビで見ているので受け入れることができているけど、同じことではないだろうか。

その走る人、竹川竹斎。
二十歳で家督を継ぐと、
地元射和(いざわ)の農民の苦しい生活に打たれ、
新田を開くために人造湖を作りそのための費用の多くを出し、
村人は何年もの間労賃を稼ぐことが出来た。
知人の紹介で勝麟太郎に出会うと15歳年下の勝を深く尊敬し経済的援助をし、
隠居後は、勝のような若い才能を育てたいと、書物を一万巻集め文庫を開き、
貧しくても学びたい者を支援した。
その他、製茶事業を成功させると、
茶道具として万古焼を復活させて村人に教え収入を得させたりと、
とにかく、地元射和の人々のためにつくした人生だった。

この人もまた、愛の人だったのではないか。
BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”』で
ランニングのコーチ、ヴィヒルが本能的に感じていた、
愛する能力と走ることを愛する能力には何らかの関係がある、
ということを思い出してしまうのであった。

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スコット・ジュレク [走る人]

「走る人」の2人目はスコット・ジュレク。

『BORN TO RUN』にも登場するウルトラマラソン界の英雄。
ウルトラマラソンとは50km以上の距離を走るマラソンで、
100km~200kmを走る競技もあるらしい。
そんな超長距離を走るにもかかわらず、
スコット・ジュレクは肉も魚も乳製品も摂らない完全採食主義者(ヴィーガン)らしいのだ。
実は私も菜食主義者(ヴィーガンではない)なので、勝手に親近感を感じている。

スコット・ジュレクに興味を持ったきっかけは、
『BORN TO RUN』での彼のセリフで、
「本物の食べ物が好きなんだ」という言葉。
「ジェル食品は使わないのか?」と問われたことに対する返答だった。

「本物の食べ物」という表現に思わず食いついた。
普段感じていた加工食品に対しての違和感。
その対極にあるものとして「本物の食べ物」。
言い得て妙じゃないか。

そして、更に興味を持ったエピソードは、
彼がウルトラマラソンでゴールした後は、
そのゴール地点に残り、後からゴールするランナー達を讃えるために、
寝袋でそのランナー達を待つというエピソード。

100km~200km走った後でなんて、
自分なら他人のことを考える余裕などないのでは思うが、
エミール・ザトペックといい偉大なランナーはなんて優しいのだろう。

スコット・ジュレクについては『BORN TO RUN』では、1章を割いて紹介している。
『EAT&RUN』とう本ではジュレク自身が生い立ちやら走りやら食について語っているので、
興味のある方は一読をお勧めします。

如何に超長距離のカリスマランナーが生まれたのか、
その精神的経過が面白く感じた。
もちろん、実践的なアドバイスも載っているので、
マラソンを走らないランナーにも参考になることも多いかと思う。

意外だったのが、学生時代はマックでの食事を楽しんでいたことと、
割と最近まで経済的に大変だったということ。
もっと上手くやれば、楽に生活できたかもしれないのに、
それをしなかったというのは『BORN TO RUN』でもちょっとふれられていたのを思い出した。

そして『EAT&RUN』では写真も素晴らしい。
菜食用の料理がきれいで美味しそうだし、
自然の中を走る姿はシチュエーション共々美しい。
タラウマラ族のランナー、アルヌルフォ・キマーレと並走している写真が楽しそうで、
とても羨ましく感じる。

スコット・ジュレクのことを知って思うところは、
エミール・ザトペックと同様に、
(あまり使いたくない表現であるが)
「愛」とか「思いやり」とか「優しさ」というようなものが根底にある人なんだろうなぁということだと思う。

そうゆうものを感じた人のことを、
このカテゴリー「走る人」で今後書いていきたい。

EAT&RUN

EAT&RUN

  • 作者: スコット・ジュレク
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2013/02/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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エミール・ザトペック [走る人]

※「走る人」というカテゴリーを追加しました。

最初はエミール・ザトペック。
『BORN TO RUN』を読んで初めて知った人物。
「人間機関車」という言葉は知っていたけど、この人のことを言っているとは知らなかった。
ヘルシンキオリンピックで5000m、1万m、マラソンの長距離走3種目で金メダルを獲得し、
インターバルトレーニングを広めた人物としても有名らしい。

『BORN TO RUN』に紹介されていた2つのエピソードが印象的だった。

1つ目は、3種目で金メダルを獲ったヘルシンキオリンピックでのお話。
すでに5000m、1万mでの金メダルを獲得していたが、
ザトペックはマラソンは初挑戦。
その日は暑かったため、当時の世界記録保持者の英国のジム・ピーターズは、
暑さを利用してザトペックを苦しめようとハイペースで飛ばした。
こんな猛ペースを維持できる者がいるのだろうかと疑問に思ったザトペックは、
ピーターズの横に並んでこう聞いた。
「これが初マラソンなんだ。ちょっと速すぎないかな?」
それに対しピーターズは「遅すぎる」と答えた。
ザトペックの闘志をくじくはずだったが、
ザトペックはピーターズの言葉を信じ「そうか。どうも」と猛然と飛び出したという。
そして3つ目のオリンピック記録でゴールした。

思わず笑ってしまったが、
もうひとつのエピソードは感動的だ。

ロン・クラークというオーストラリアの選手(800mから1万mで19の記録を破った)は、
大一番で勝つことが出来ず「息切れ男」と揶揄されていたらしい。
68年のメキシコオリンピック1万m決勝では高山病に倒れた。
故国で罵声を浴びることを予想し帰国を遅らせてプラハに立ち寄り、
ザトペックを表敬訪問した。
その帰り際、クラークは自分のスーツケースにザトペックが何かをしのばせるのに目をとめた。
プラハの春で、
ソ連に同調してスポーツ大使を務めるか、
ウラン鉱山のトイレ掃除をするか選択を迫られ、
トイレ掃除を選んだザトペックは自由を制限されていた。
「彼のために外の世界へメッセージを運ぶのだと考え、飛行機が離れるまではあえて、
包みを開けなかった」とクラークはのちに語っている。
「きみにはこれがふさわしい」と別れ際にザトペックはクラークに、
表彰台風の抱擁をしてくれた。
後にその言葉は抱擁のことを言っていたのではないと気付く。
スーツケースにしのばせたのは外の世界へのメッセージではなく、
ヘルシンキオリンピックで獲得した1万mの金メダルだった。

他にほとんど失ったような状況で大切なメダルを自分の記録を破った男に送る。
何という凄い優しさ、思いやり。
一気に好きになってしまった。

『BORN TO RUN』では走ることと愛することは似ているのではないか、と言っている。
アメリカ人に愛を説かれると眉唾で警戒してしまいがちな自分でも、
何故か素直にそう思えるのが不思議。

そんなエミール・ザトペックが尊敬するランナーが、
何と日本人の村社講平(むらこそ こうへい)。
ベルリンオリンピック5000m・1万mで4位入賞し、
そのレースっぷりが駆け引きなしの真っ向勝負だったのが、
少年だったザトペックを感動させたらしい。
だからこその1つ目のエピソードにつながるのかなぁと勝手に想像してしまった。

意外なところで日本人とつながっていて嬉しい。
実に尊敬すべき人物だと思う。
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