『超人の秘密』 、3回目を読了した。
1回目は図書館で借りてきて、ふーんてなもんだった。
2回目は自分が(プチ)フロー体験をしたので興味深く読み進んだ(またも図書館で借りたもの)。
そしてこの本は手元に置いておきたいと思い、今回は購入しての3度目の読了。
付箋多すぎw
2回目を読み終えた時は「内的なフロートリガー」でのフローへの入り方について主に紹介した。
(記事『【ちょっとフローに】超人の秘密【入ってくる】』参照)
最近、走りながらこのフローへの入口付近と思われる所をウロウロしながら思い出していたのが、
フローに入るのに邪魔になるのが自己意識だとういうこと。
フローに入ればあらゆる複雑性は消え去り、意思決定は簡単にそして自動的にできるようになるという。
そこまでの道やフローに入ってから邪魔をするのが自己意識なのだそうだ。
自己意識があるうちはフローには入れないし、
せっかくフローに入っても自己意識が出てくると複雑性が復活しフローも途切れてしまう。
そんな自己意識をなくせるんじゃないか、と思われる瞬間が走っていてある。
それは自分の視界が客観的に近い状態になっている時だ。
具体的にどうするのかというと、
視線は正面、足元や周りの風景が視界から消えるギリギリのところに集中する。
すると主観が抜けて客観的にものを見ているように感じられてくる。
例えるならば、カメラのファインダーを覗いている感じ、と言えば分かりやすいだろうか。
それが更に集中できてくるとファインダーではなくテレビモニターを見ている感じになってくる。
車載動画を見ているというか人載動画を見ているというか、
より客観的な視点で見れているような気がしてくるのだ。
それを続けられればフローに入れるような気がしているのだが、中々続けられない。
それどころか、テレビモニターを見ている感じまでに行くまでさえ中々ないのだから。
そうしてモンモンとしている間に、走っていること自体が面白い!と思える時間が少なくなってしまった。
日常生活の中では、身体の使い方が良くなってきているというのに、
それとは反比例するように走るのが下手になっている気がしてならない今日この頃。
けれども、その答えもこの本の中にあった。
フロー状態というのは、オン、オフを切り替えるようになるものではなく、
苦闘→解放→フロー→回復 という4段階のフローサイクルというものの一部だということだ。
この「苦闘」の段階では、
何か上手く走れているなー、と思っていた期間はフロー状態(極 浅い状態)にあったと思えば合点がいく。
身体の使い方が変わってきて、今までの走り方とは相容れなくなってきたことで、
軽いフロー状態が一旦終了して、新しく「苦闘」の段階からやり直している←new!
といった感じだろうか、と思ったのが今日のお話。
なので今の段階ではやたらとフロー状態を追い求めてはいけないだなー、と理解した。
そうと分かれば、走っていて面白くない!とクヨクヨしてないで、
淡々と、変わってきた身体の動かし方のパターンをチャンク化する作業を続ければよいので気が楽だ。
積極的に「苦闘」を受け入れようという気になるじゃないか。
楽しく走れている時は、このまま螺旋階段を上がるように走るのが上手くなっていく気がしてたけど、
こんな落とし穴というか踊り場のような所もあるんだなぁ、とひとつ勉強になった。
この本を購入して読み直していなければ、今なおモンモンとした日々が続いていただろう。
『超人の秘密』は『BORN TO RUN』、『日本の弓術』と並ぶ教科書になりそうだ。
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1回目は図書館で借りてきて、ふーんてなもんだった。
2回目は自分が(プチ)フロー体験をしたので興味深く読み進んだ(またも図書館で借りたもの)。
そしてこの本は手元に置いておきたいと思い、今回は購入しての3度目の読了。
付箋多すぎw
2回目を読み終えた時は「内的なフロートリガー」でのフローへの入り方について主に紹介した。
(記事『【ちょっとフローに】超人の秘密【入ってくる】』参照)
最近、走りながらこのフローへの入口付近と思われる所をウロウロしながら思い出していたのが、
フローに入るのに邪魔になるのが自己意識だとういうこと。
フローに入ればあらゆる複雑性は消え去り、意思決定は簡単にそして自動的にできるようになるという。
そこまでの道やフローに入ってから邪魔をするのが自己意識なのだそうだ。
自己意識があるうちはフローには入れないし、
せっかくフローに入っても自己意識が出てくると複雑性が復活しフローも途切れてしまう。
そんな自己意識をなくせるんじゃないか、と思われる瞬間が走っていてある。
それは自分の視界が客観的に近い状態になっている時だ。
具体的にどうするのかというと、
視線は正面、足元や周りの風景が視界から消えるギリギリのところに集中する。
すると主観が抜けて客観的にものを見ているように感じられてくる。
例えるならば、カメラのファインダーを覗いている感じ、と言えば分かりやすいだろうか。
それが更に集中できてくるとファインダーではなくテレビモニターを見ている感じになってくる。
車載動画を見ているというか人載動画を見ているというか、
より客観的な視点で見れているような気がしてくるのだ。
それを続けられればフローに入れるような気がしているのだが、中々続けられない。
それどころか、テレビモニターを見ている感じまでに行くまでさえ中々ないのだから。
そうしてモンモンとしている間に、走っていること自体が面白い!と思える時間が少なくなってしまった。
日常生活の中では、身体の使い方が良くなってきているというのに、
それとは反比例するように走るのが下手になっている気がしてならない今日この頃。
けれども、その答えもこの本の中にあった。
フロー状態というのは、オン、オフを切り替えるようになるものではなく、
苦闘→解放→フロー→回復 という4段階のフローサイクルというものの一部だということだ。
この「苦闘」の段階では、
かかえている問題は解決できないように思えるし、自分の努力も続かないのではという気がしてくる。そして全体的な状況としては、フローから限りなく遠い所にあるように感じられる。こうしたマイナスの感情をどうやってコントロールするかが重要になる。苦闘の段階では、意識を使ってパターンを特定し、そのうえで、そうしたパターンを充分に重ね合わせてチャンク化する。
何か上手く走れているなー、と思っていた期間はフロー状態(極 浅い状態)にあったと思えば合点がいく。
身体の使い方が変わってきて、今までの走り方とは相容れなくなってきたことで、
軽いフロー状態が一旦終了して、新しく「苦闘」の段階からやり直している←new!
といった感じだろうか、と思ったのが今日のお話。
なるほど。苦闘の段階では無暗にフローを求めて無意識に接続しようとするのではなく、意識をつかわなければいけないのか!
— 走るおむすび (@hasiruomusibi) 2019年11月2日
なので今の段階ではやたらとフロー状態を追い求めてはいけないだなー、と理解した。
そうと分かれば、走っていて面白くない!とクヨクヨしてないで、
淡々と、変わってきた身体の動かし方のパターンをチャンク化する作業を続ければよいので気が楽だ。
積極的に「苦闘」を受け入れようという気になるじゃないか。
楽しく走れている時は、このまま螺旋階段を上がるように走るのが上手くなっていく気がしてたけど、
こんな落とし穴というか踊り場のような所もあるんだなぁ、とひとつ勉強になった。
この本を購入して読み直していなければ、今なおモンモンとした日々が続いていただろう。
『超人の秘密』は『BORN TO RUN』、『日本の弓術』と並ぶ教科書になりそうだ。
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