【お散歩ラン】先週行った見沼の紹介【今週が桜の見頃】 [お散歩ラン]
見沼と言っても埼玉県民以外にはあまりなじみがないかも知れない。
マラソンが好きな人なら、
さいたま国際マラソンで通る新見沼大橋の下が見沼という沼があった所だよ、
と言えばわかってもらえるだろうか。
現在のさいたま市、川口市に広がっていた大きな沼で、
都市化の波にのまれそうになったこともあるけど、
台風被害があった時に見沼の遊水地としての機能が見直され、
「見沼たんぼ」として保護されることになったそうだ。
見沼たんぼと言っても今は畑の方が多いらしい。
昨日行った見沼。 都内から #ランニング してきたとは思えないような風景にニンマリ。 1枚目 桃畑? 2枚目 水神社 3枚目 木の橋 4枚目 見沼通船堀 pic.twitter.com/HC6ipswJFD
— 走るおむすび (@hasiruomusibi) 2018年3月25日
元々は低湿地帯で大小多くの沼があった場所。
江戸時代初期に芝川下流をせき止めて、「見沼溜井」として下流域の灌漑用水を確保!
やったぜ!ベイベー!となったものの、やがて水量が不足してくると、
享保の改革での「新田開発じゃー!」という流れで見沼溜井を干拓し田んぼへ。
60㎞も離れた利根川から用水を引いて見沼溜井の代わりとした。
これが今も残る「見沼代用水」。
見沼の代わりとなる用水だから見沼代用水という。
見沼の両岸の台地のヘリの高い所をそれぞれ流れ(西縁(にしべり)、東縁(ひがしべり))、
干拓した田んぼに水を供給する一方、
中央の低い所を流れる芝川は排水路としての役目を果たす。
台地のヘリの高い所を流れる東西の見沼代用水と、中央の低い所を流れる芝川。
水位差は3メートルほど。
ここを船で行き来できるようにしようぜ!と考えられたのが、
「見沼通船堀」という閘門(こうもん)式運河。
言わばパナマ運河の先駆けで(180年も早い)、
2つの水門の間に水を溜め、水位差を埋めて舟を移動させる仕組み。
東西それぞれに、閘門式運河がある。
当時は米や野菜を江戸へ運び、塩や酒や肥料を積んで帰ってきたという。
明治時代に入ると陸路にその機能を奪われ、大正時代末期に役目を終えた。
こうして歴史を知ると、スゲー所じゃん!と思うのだが、
そんなことを感じさせない、ほのぼのとした雰囲気も見沼の魅力だ。
都内からランニングで見沼まで行く時は、
赤羽から岩槻街道を北上して芝川の交差地点まで行き、
芝川のサイクリングロードを走る。
信号がない代わりに立体交差を上り下りすることと単調なことがツラい。
特に帰路は精神的に削られるゾーンでもある。
やがて外環道を越えてしばらく行くと、水神社に到着。
享保の改革での見沼の干拓事業で築かれた八丁堤にある水神社。 通船堀ができた翌年1732年の創建。 #ポーズスケルトン #poseskeleton pic.twitter.com/DxOqjUWZOz
— 走るおむすび (@hasiruomusibi) 2018年3月31日
ここから見沼通船堀沿いの道を見沼代用水西縁を目指す。
ちょっと行くと閘門が現れる。
見沼通船堀西側の閘門(こうもん)跡。 スエズ運河の180年も前に閘門式運河がここで運用されていた。 pic.twitter.com/M7jfMphqKp
— 走るおむすび (@hasiruomusibi) 2018年3月31日
この先の竹林の手前の道を左に曲がると附島氷川女體神社に出る。
附島氷川女體神社。 本殿は厳重に鉄格子で覆われている。 隔離されてるみたい・・・。 #神社仏閣 pic.twitter.com/Re4QOT0aBl
— 走るおむすび (@hasiruomusibi) 2018年3月31日
目的地の氷川女體神社の飛び地らしい。
この先代用水東縁近くにもうひとつ女體神社があるのだが、今回は見逃してしまった。
通船堀に戻り西縁へ。
ずっと桜並木が続いているけどまだあまり咲いていなかった。
これは桃畑だろうか?
上に見えるのが桜の枝。花にはまだちょっと早かったみたい。
左の空と地面の堺辺りに見える白い線が新見沼大橋。
しばらく走ってこの新見沼大橋を越えると見沼氷川公園に出る。
見沼氷川公園にて。 桜が咲いていない代わりに都内より季節が戻って 木蓮や早咲きの桜が咲いていた。 今週あたりは桜の見ごろだろうなぁ。 #ポーズスケルトン #poseskeleton #木蓮 pic.twitter.com/Sz2wMixhuh
— 走るおむすび (@hasiruomusibi) 2018年3月31日
この公園の目の前に氷川女體神社がある。
(先日の記事と重複するけど、)氷川女體神社というのは、
今のブログのトップ画像の武蔵一宮氷川神社、中山神社と共に三氷川と呼ばれていて、
この三社で「氷川神社」とする説もあるという。
三社は地図上で確認すると一直線上に並んでいて、
夏至の太陽は西南西の武蔵一宮氷川神社に沈み、
冬至の太陽は東南東の氷川女體神社から登るらしい。
また享保の改革の時の干拓事業では祟りで工事が難航したり、
工事を指揮した井沢弥惣兵衛爲永に龍が憑りついたという伝説が残っている。
氷川女體神社。 写真を撮る時にちょうど鳥居の額に木漏れ日が当たって、 なんか神秘的な感じがした。 #神社仏閣 pic.twitter.com/iZc3zyWO1S
— 走るおむすび (@hasiruomusibi) 2018年3月31日
ここが目的地であり、ほぼ中間地点。
帰りは見沼代用水東縁を走るので、西縁を離れ芝川を越えて東縁へ。
代用水は台地のヘリを通っているので、うねうねと遠回りを余儀なくされる。
この辺が60㎞から2㎞多く走ることになった原因かもしれない。
所々で木蓮や桃や桜や色々な花が咲いていてほのぼのさせられる。
そんな風景の中、淡々と見沼代用水東縁を走って行くと、東側の見沼通船堀に到着。
東側の見沼通船堀。 西側の朽ちた感じも良いけど、 こちらは整備されていて閘門(こうもん)の仕組みが分かりやすい。 pic.twitter.com/XlkQdV7c5M
— 走るおむすび (@hasiruomusibi) 2018年3月31日
こちらは観光用に整備され始めているみたい。
やがて西縁の方も綺麗になってしまうのだろうか?
ここから少し行くと今回のランニングでの見沼のスタート地点の水神社に到着。
ここでちょっと寄り道して、芝川をさかのぼると、
芝川に架かる木の橋。 ポースケを走らせてみる、 と思ったけどスキップしてる感じに・・・・。 #ポーズスケルトン #poseskeleton pic.twitter.com/YRVCcGoJKk
— 走るおむすび (@hasiruomusibi) 2018年3月31日
1枚目の画像の奥に見える青い鉄橋は武蔵野線のもの。
2年前に初めて通った時は菜の花が咲き乱れるなか貨物列車が通り過ぎて、
「これが都内から自分の足で走ってきた場所の風景だろうか」と感動した場所。
ここでカメラをトレランバッグにしまい、あとは走って帰るだけとなるが、
今回紹介した見沼はまだ南半分。
氷川女體神社辺りから、見沼はY字型に東西に分かれる。
東西の見沼代用水は取水口のある行田市付近で合流するらしい。
そこには川と代用水が立体交差する地点があって、観察できるらしい。
いつか走力が上がったらそこまで行って実際に見てきたいと思う。
見沼代用水の桜並木は20㎞以上あって、今が見ごろらだという。
ツイッター等で検索すると凄い画像や映像がゴロゴロと。
また行きたくなってしまうけど、2週連続で60㎞走はちょっと・・・・。
って走って行かなくてもいいのか。
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