12月と2021年のまとめ [まとめ(月間・年間)]
12月は17日で308㎞走った。400㎞を目標にしていた割には物足りない。
「何となく」忙しくて走るのはちょっとサボり気味だったかな。
サボりながらでも、走ってみると良い感覚は毎回出てくるようになってきたのは良い傾向。
普段の生活の中でも「玉乗りの感覚」で歩けることが出てきたので、
それも稽古の内だと思えばサボった感もあまりない。
けど、あまり度が過ぎるとお腹が出てきてしまうので1月からはちょっと頑張りたい。
距離はさておき、
これを意識できたのが大きかったと思う。
今まで如何に自分が無駄に頑張ってしまったいたのか、ということを実感した。
ウルトラの距離では「頑張っていると感じたら頑張り過ぎている」というようなことを
『BORN TO RUN』で言っていたが、普段のランニングでも当てはまるようだ。
ラン後の疲労度も以前より少なくなってきているような気がする。
技術的にどうこうじゃないので(でも技術的に考えないわけではない)、
どんな人も取り組めると思うのでおススメだ。
2021年のまとめ
2021年は3183㎞走ることができた。
故障で走れない期間もあったので、その割にはよく走ったのではなかろうか。
2021年は何と言っても、
5月の疲労骨折からの10月の御岳山行きで100㎞走れたことが大きな出来事だった。
疲労骨折したお陰で普段の生活の動きから改善することができたし、
ランニングを再開してからは色々な気づきがあって
(腹を着地地点の上に入れ込む、玉乗りの感覚、腹圧で体幹をまとめる、身体を薄くする等)、
これら全てが100㎞走ることにつながったので、故障も悪くはなかったなと思う。
とりあえず100㎞走ることができたので、
自分がやっている方法でも間違ってはいないんだなという自信にはなった。
そして成長しているという実感も得ることができたのが嬉しい。
その成長している証でもあると思うのだが、
未熟な点やまだまだ出来ていない点に気付くことも多くなって、
ちょっとモチベーションが下がったりもしている。
それが12月後半の走行距離が伸び悩んだ原因でもあるのだが、
まあ一時的なものだろうと楽観視もしている。
この未熟さに気付けるようなったことで、すこし心境の変換がある。
それは、「そろそろブレークスルーがあってもいいと思うの」と期待しなくなったこと。
謙遜ではなく、そもそもまだまだだったと自覚することができ、
1日1枚紙を重ねるくらいでも成長できれば良いじゃないかと思う。
ひとあしひとあしが積み重なって100㎞になったように。
だがしかしブレークスルーは、いつかはあると思っている。
あるとは思うが、それは満を持さなければいけないのだろう。
期待はしないが、諦めもしないという姿勢でやっていけば、
アレ?いつの間にか自転車に乗れてる!
みたいな感じで走れるようになるような気がしている。
と、まあランニングに関しては充実した満足のいく1年を送れたと思う。
無事に今年1年を終えることができて感謝です。良いお年を!
にほんブログ村
「何となく」忙しくて走るのはちょっとサボり気味だったかな。
サボりながらでも、走ってみると良い感覚は毎回出てくるようになってきたのは良い傾向。
普段の生活の中でも「玉乗りの感覚」で歩けることが出てきたので、
それも稽古の内だと思えばサボった感もあまりない。
けど、あまり度が過ぎるとお腹が出てきてしまうので1月からはちょっと頑張りたい。
距離はさておき、
12月の目標は、「その時出来得る限りのラクをして走る」ことにした。今日これを意識したら「苦しい」に居着くことが少なくなったような気がする。良い目標設定ができたぜ。
— 走るおむすび (@hasiruomusibi) December 2, 2021
これを意識できたのが大きかったと思う。
今まで如何に自分が無駄に頑張ってしまったいたのか、ということを実感した。
ウルトラの距離では「頑張っていると感じたら頑張り過ぎている」というようなことを
『BORN TO RUN』で言っていたが、普段のランニングでも当てはまるようだ。
ラン後の疲労度も以前より少なくなってきているような気がする。
技術的にどうこうじゃないので(でも技術的に考えないわけではない)、
どんな人も取り組めると思うのでおススメだ。
2021年のまとめ
2021年は3183㎞走ることができた。
故障で走れない期間もあったので、その割にはよく走ったのではなかろうか。
2021年は何と言っても、
5月の疲労骨折からの10月の御岳山行きで100㎞走れたことが大きな出来事だった。
疲労骨折したお陰で普段の生活の動きから改善することができたし、
ランニングを再開してからは色々な気づきがあって
(腹を着地地点の上に入れ込む、玉乗りの感覚、腹圧で体幹をまとめる、身体を薄くする等)、
これら全てが100㎞走ることにつながったので、故障も悪くはなかったなと思う。
とりあえず100㎞走ることができたので、
自分がやっている方法でも間違ってはいないんだなという自信にはなった。
そして成長しているという実感も得ることができたのが嬉しい。
その成長している証でもあると思うのだが、
未熟な点やまだまだ出来ていない点に気付くことも多くなって、
ちょっとモチベーションが下がったりもしている。
それが12月後半の走行距離が伸び悩んだ原因でもあるのだが、
まあ一時的なものだろうと楽観視もしている。
この未熟さに気付けるようなったことで、すこし心境の変換がある。
それは、「そろそろブレークスルーがあってもいいと思うの」と期待しなくなったこと。
謙遜ではなく、そもそもまだまだだったと自覚することができ、
1日1枚紙を重ねるくらいでも成長できれば良いじゃないかと思う。
ひとあしひとあしが積み重なって100㎞になったように。
だがしかしブレークスルーは、いつかはあると思っている。
あるとは思うが、それは満を持さなければいけないのだろう。
期待はしないが、諦めもしないという姿勢でやっていけば、
アレ?いつの間にか自転車に乗れてる!
みたいな感じで走れるようになるような気がしている。
と、まあランニングに関しては充実した満足のいく1年を送れたと思う。
無事に今年1年を終えることができて感謝です。良いお年を!
にほんブログ村
走り始めてからの総走行距離が2万㎞を越えたよ [ランニング]
ランニングを始めてから約7年。走行距離が2万㎞を越えた。
1万㎞を越えた時が3年半前だから、その時からのペースは変わっていないらしい。
地球1周が4万㎞というから、ようやく地球半周分走ったということになる。
ということは、ブラジルから「日本のみなさーん聞こえますかー?」って言えるってことか。
いやたぶん違う。
それにしても地球デケーな!と思う。
走行距離なんて気にしないって人も多いだろうけど、自分は気にする。
何だかんだ走ってきて、走行距離は経験値だと思うようになってきたからだ。
最近、無意識でやっていることを観察する時間が少しできるようになって、
「ああ、こうゆう時はこうやって身体が対応しているんだ!」と思うことがたまにある。
この無意識で対応してくれるということは、過去の経験から来ていて、
その経験が多ければ多いほど細かい選択肢が増えていくと感じている。
その選択肢が増えるということが習熟していくということだんだろうと思う。
1万時間の法則というのがあって、
「人が何かに習熟してスペシャリストになるのにかかる時間」
というのが1万時間だといことだ。
↓この本で言われている(訳に難ありらしいので原著が良いらしい)。
これは宮本武蔵が『五輪書』で
と言っているのと似ている。
これを勝手に解釈して、
1日10㎞キロ6分(1時間ってことね)で走るとして、
10万㎞の走行距離に達すれば1万時間に到達することができて、
ランニングに習熟してスペシャリストと言えるレベルになれるのでは?
なんて皮算用している。
2万㎞走ってきたということは、あとこれの4倍走れば一流になれるといういことだ。
走り始めて7年だから、このペースでいくとあと28年か…。
キロ6分より速くなってるしこれからも速くなるだろうし、
それに伴って走行距離もこれからどんどん増えるだろうし、
走り始めてから30年後には達成できるんじゃなかろうか(白目
(↑時間と距離がすり替わってますよーw)
でもまあ武蔵の言っている鍛錬が30年とすると大体合致するのは偶然か?
この時間的猶予に甘えることなく、
もっと上手く走れるようになれるといいなという原動力で精進していきたい。
「千日の稽古を鍛とし」て2回繰り返しているのは、ちょっと自信になる。
今年はやっと1日100㎞走ることができたし、数字には表れない成長も感じているので、
このままの感じで続けていければ、
いつか気がつけばとんでもない所に辿り着けるかも知れない、
なんて夢想している。
にほんブログ村
1万㎞を越えた時が3年半前だから、その時からのペースは変わっていないらしい。
地球1周が4万㎞というから、ようやく地球半周分走ったということになる。
ということは、ブラジルから「日本のみなさーん聞こえますかー?」って言えるってことか。
いやたぶん違う。
それにしても地球デケーな!と思う。
走行距離なんて気にしないって人も多いだろうけど、自分は気にする。
何だかんだ走ってきて、走行距離は経験値だと思うようになってきたからだ。
最近、無意識でやっていることを観察する時間が少しできるようになって、
「ああ、こうゆう時はこうやって身体が対応しているんだ!」と思うことがたまにある。
この無意識で対応してくれるということは、過去の経験から来ていて、
その経験が多ければ多いほど細かい選択肢が増えていくと感じている。
その選択肢が増えるということが習熟していくということだんだろうと思う。
1万時間の法則というのがあって、
「人が何かに習熟してスペシャリストになるのにかかる時間」
というのが1万時間だといことだ。
↓この本で言われている(訳に難ありらしいので原著が良いらしい)。
これは宮本武蔵が『五輪書』で
千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。
と言っているのと似ている。
これを勝手に解釈して、
1日10㎞キロ6分(1時間ってことね)で走るとして、
10万㎞の走行距離に達すれば1万時間に到達することができて、
ランニングに習熟してスペシャリストと言えるレベルになれるのでは?
なんて皮算用している。
2万㎞走ってきたということは、あとこれの4倍走れば一流になれるといういことだ。
走り始めて7年だから、このペースでいくとあと28年か…。
キロ6分より速くなってるしこれからも速くなるだろうし、
それに伴って走行距離もこれからどんどん増えるだろうし、
走り始めてから30年後には達成できるんじゃなかろうか(白目
(↑時間と距離がすり替わってますよーw)
でもまあ武蔵の言っている鍛錬が30年とすると大体合致するのは偶然か?
この時間的猶予に甘えることなく、
もっと上手く走れるようになれるといいなという原動力で精進していきたい。
「千日の稽古を鍛とし」て2回繰り返しているのは、ちょっと自信になる。
今年はやっと1日100㎞走ることができたし、数字には表れない成長も感じているので、
このままの感じで続けていければ、
いつか気がつけばとんでもない所に辿り着けるかも知れない、
なんて夢想している。
にほんブログ村