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木下(きおろし)街道走って来たよ [脇往還]

木下(きおろし)街道とは、千葉県の行徳から、利根川の河岸の木下までを結ぶ街道。
江戸時代に利根川の水運で運ばれてきた物資を行徳まで陸路で運び、
再び水運にて行徳から江戸へというルートの陸路部分の街道を指す。

銚子で獲れた魚や利根川上流で伐採された材木を江戸に運んでいたという。
その利根川の河岸が木下(きおろし)河岸といって街道名の由来となったらしい。
香取神宮や鹿島神宮への参詣道としても使用されていたとのことで、
2023年4月の100㎞チャレンジのルートとして採用した。
まだ撃沈前の元気な時に走っていて変化に富んだ良い道だったので紹介したい。
(※追記 この時に見逃した名所を再訪した写真を最後に載せてます。)

木下街道軌跡_R.jpg


走った区間は八幡から木下まで26㎞くらい。
100㎞チャレンジの一部として走ったので行徳まで遠回りすることなく、
自宅からの最短距離で走れるルートということで始まりは八幡辺りから。


↑見えている橋が江戸川に架かる行徳橋で渡ると旧街道と合流する。
走っている時は勘違いしてて千葉街道の鬼越からが木下街道かと思ってた。


千葉街道から分かれると台地へ上る坂道で息も上がる。
今では普通の住宅街だが右側にお洒落な洋館が見える。

これは東山魁夷記念館で、
東山魁夷が生前に住んでいた家の敷地だったかそのお隣に建てられたらしい。
日本画家の東山魁夷は昔好きで新潮文庫の画集っぽいのをよく読んでたな。
走って行ける所にあるのを今回初めて知って嬉しい限り。
今度行ってみようと思いながら通過。
ちょっと行くと中山競馬場がある。

競馬には何の思い入れもないので華麗にスルー。
しばらく行くと鎌ヶ谷大仏がある。
駅名にもなっているのでかなり有名らしいが知らなかった。
どうせ駅から遠いと思っていたので立ち寄ることもなく、
だから写真もないのだが、街道脇の墓地内にあるらしく、惜しいことをした。

この鎌ヶ谷大仏駅を超えて少し行くと現道と旧道に分かれる地点がある。
IMG_20230429_060206049_R.jpg
そこに何やら石碑があったのだが朝方で逆光暗めで、
何が書かれてあるのかはわからなかったが、
ここからが旧道であることは分かったので助かった。

旧道と言っても、
庚申塔とか馬頭観音とかがあるわけではない普通の住宅街なのだが、
普通に舗装されていてすごく走りやすく感じ、
今までの現道の歩道がガタガタで走りにくかったんだなぁというのが確認できた。

そして住所の表示に白井の文字が見えると、
風景は住宅街から田舎らしさを感じられるようになってくる。

馬頭観音なんかもあったりして、昔からの街道なんだと感じさせてくれる。
しばらく進むと庚申塔が建ち並ぶゾーンが現れその数に驚く。

羽黒山の講の碑もいくつかある。
ここから山形県の羽黒山まで農閑期にお参りに徒歩で行ってたとか、
昔の人の脚力というか行動範囲とうか信仰心というか色々スゲーな、
と改めて思う。

この辺には旧道があり、ちょっと複雑な経路をとっていて、
今回は道迷いが怖くて現道を選択したことから、
こんな古い庚申塔が沢山見られるとは思っていなかったので、
とても嬉しい誤算だった。

道行く看板に印西市の文字が見え始めると台地を下る坂道になる。
その坂道の先、下に見える田園風景が感動的だ(写真はない)。
坂を下りてから遠くに筑波山らしき山が見えたのでパシャリ。

画像から山容はほぼ分からないという…。
でも生で筑波山を見たのは初めてだったので感動があった。
この田園風景の中を進んでいくと街道の終着地点である木下(きおろし)に到着。
美味しそうなお蕎麦屋さんがあったけど、まだ朝が早く開いてなかった。
IMG_20230429_081158514_R.jpg
もしここでお蕎麦食べてたら撃沈しなかったかな?と考えてしまう。
まあ仕方がない。

次のツイートは利根川沿いの集落で撮った写真で、
印西の辺りの田園風景と似ているので木下街道沿いではないけど、
この辺りの風景として一応載せておく。


そうして木下で利根川の土手に上る。

いまこうして写真を見返してみると、
走るのをやめた滑河付近と比べると川幅がまだ狭く感じる。
利根川沿いはほとんど走っていないような印象だったけど、
それだけの距離を川沿いだけでも自分の脚で走った(移動した)んだなぁと、
あの日の自分を褒めてつかわそうと思う。

終わり。

※追記 この時に見逃した所の写真等です。

馬込付近の京成線の線路を超えた辺りにある戊辰戦争兵士の墓。
IMG_20230527_052022150_R.jpg

鎌ヶ谷大仏
IMG_20230527_054122226_R.jpg
がっかり、しょぼい、残念等散々なレビューを見た後だったので、
意外とちゃんとして大仏様じゃん!と思った。
高さ1.8m、台座含めて2.3mの大仏様だそうです。
しかし駅名にもなっているのでもっと立派な大仏様を想像するのも仕方なく思え、
これ目当てに観光に訪れたらがっかりかもしれない。


本文、旧道の入り口近くにある道標。
IMG_20230527_054334225_R.jpg
確かに「右きおろし道」と読み取れる。
その案内板。
IMG_20230527_054355077_R.jpg

あと浦部の百庚申を全部(103基)写真撮ってけど、
全部載せるのは大変なのでGIFにしてみた。


JR木下駅近くの踏切。
IMG_20230527_074944060_R.jpg
ようやくここまで来た!と少しホッとするポイント。

JR木下駅舎
IMG_20230527_075444268_R.jpg
街道からパシャリ。
街道を挟んで反対側に利根川が流れていて、
最初に通った時は利根川の土手に入る場所を探していたせいもあって、
なんとこの駅舎を見逃してしまっていた。
これら全部の見逃しポイントは実際に行けば分かると思うが、
「これ見逃すぅー?!」とびっくりする所ばかりで我ながらヤバいと感じる。

以上、追記終わり。

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川越街道走って来たよ [脇往還]

4年半前に途中まで試走したまま放置してきた川越街道を走って来た。
IMG_20220917_081620224 (2).jpg

自宅から40㎞ちょっと、往復できるくらいの時間に出発。
10時間で往復したとしても15時じゃん!と思ってましたゴメンナサイ。
まずは中山道と川越街道との追分へ。大体10㎞地点。


いきなり道を間違えたでござる。
まっすぐに行くべき所を右へ逸れていた。
というかまっすぐの道は左へ逸れているように思えたんだよなー…。
試走したのが4年半前だから記憶も薄れるよねー。
無事に復帰できたから、まあいい。

最初は道間違えたけど、
旧道に入る道とか現道に復帰する道とかは身体が覚えていてくれてた。



こうして古道の跡を教えてくれるのは嬉しく思う。


この辺りで大体20㎞地点。
甲州街道は市街地をバイパスするための新道が多いけど、
川越街道は急坂を避けて線形をよくするための新道が多いと感じた。


白子宿付近の川越街道を地図で見てみると、
川越街道白子宿付近.png
赤い国道254号線が現道の川越街道で、
そこから直進して分かれている黄色が旧道、
そして青い線が旧旧道と3本の川越街道が走っているのが分かる。






この辺りでハイドレーションの水1リットルを飲み切ってコンビニで補充。
1リットル入りがなく2リットルの水を買って残りを無理やりに飲む。
このまま走ると気持ち悪くなりそうだったので、しばらく歩くことにする。
どうせ走れないのならと、持ってきたおむすび(小)を食べながら歩く。
この日は日が出てからは暑くこの辺りで既にバテてたんだなと思う。
大体24㎞地点。


4年前に試走した時は柳瀬川の手前まで来たので、この先は未知の区間。
柳瀬川を渡る大和田宿辺りで28㎞地点。


石に刻まれた「川越街道」の文字がカッコいい。
ここからの大井宿までの並木道ゾーンは信号のタイミングも良く走りやすかった。
がしかし、暑さのせいで往復するのは無理だなと思い始める。


ふじみ野の旧道入口で34㎞地点。
ここの旧道を走っている時に帰りは電車に乗ろうと思った。
川越でゴールして飲み食いするんだ!


市街地に入って40㎞くらい。
どうせならフルマラソンの距離は超えておこうと思う。


そしてとりあえずのゴール!
この後、川越城本丸御殿まで走って約43㎞。
3リットルの水を飲んでも尿意はなく、
一応しておくかとトイレに入るとチョロッと濃いめのが出た。
膝折のコンビニで2リットル入りの水しか無く、
ハイドレーションに入らない分を無理やりに飲んだのが良かったのかもしれない。
それがなければ、もしかして撃沈していた可能性もあったな。


この道灌まんじゅうは本当におススメ!
玄米粉の香ばしさとあんこのバランスが丁度良くとても美味しい。
太田道灌が築城した川越城本丸御殿の前にお店があるので、
道灌まんじゅうと名付けられたらしい。
蔵が建ち並ぶ観光に中心地からはちょっと離れているけど、
だからこそゆっくりできるしおススメしたい。
甘納豆やサツマイモを使ったお菓子もあったので、
今度行ったら道灌まんじゅうとそれらを購入したいと思う。

朝5時に家を出て、走り終わって大体10時くらい。
家を出る前に卵かけごはん1杯食べてから、
水3リットルの他、干し梅で塩分補給とおむすび(小)ひとつ、生どら焼き1個、
それしか食していないのに「もういいや」と満足してしまった。
前日に用意してたんだけどな。

もし暑くなかったら、これで往復賄えていたのかは不明。
またの機会に試してみたいと思う。

距離と時間はこんな感じ。

足元は6000㎞以上走った薄々の4代目ワラーチで、
もしもの時の予備で5代目のほぼ新品ワラーチをトレランバッグへ。
ペース自体は大体予定通り。
やる気がどっか行ってしまったので往路はまた今度。

川越の町は蔵が建ち並ぶのは壮観なんだけど、
食べ歩きの街って感じで自分向きではないと思った。
だけど、ちょっと裏道に入ると立派なお寺があって静かな雰囲気なので、
次に行くときは神社仏閣を走って周るのが楽しみ。
その時はちゃんと自分の足で走って帰ってくるんだ!
と思うおむすびであった。

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50㎞走 川越街道試走してきたよ [脇往還]

今月のロング走はどうしよう?
3部練で20㎞×3で60㎞走でもする?いやいやいやいや・・・・。
と悩んでいたけど、今日、急遽まとまった時間が取れたので、
以前から気になっていた川越街道を途中まで走って往復してきた。

53.5㎞をキロ5分42秒のペース。
走った時間は5時間5分くらいだけど、行程は5時間45分ほど。
ワラーチで走った最高距離となった。

川越街道は板橋宿から中山道と別れて川越へと向かう脇往還。
川越と言えばイモ。
栗(九里)より(四里)うまい十三里という謳い文句があるので、
13里と言えば52㎞かぁ。
今の自分にはちょっと遠いかな、と思っていた。
しかし、何となく地図でポチポチ距離を測ってみたら日本橋から40㎞くらいしかないことを知って、
俄然ランニングコースとしての候補に挙がってきた。
40㎞走って、風呂入って、飯食って、観光ってパターンも考えたが、
急遽なので、とりあえず途中まで試走してそのまま帰って往復50㎞くらいにしようと出かけた。

都内はとにかく商店街を走るといった感じ。
旧道が残っている所の雰囲気が良く出ている。
成増を越えると新道は山を掘割にして直線で谷を下って登っているところを、
旧道は地形にそって谷を一気に下って山を回り込むように登ってゆく。
新道と旧道の特徴が両方残っていて、土木技術の進化が分かりやすい。
それが良いか悪いかは別にして、この目で見れて走って感じられるのは面白い。

坂を登り切って外環道を越えると高い建物がなくなり、郊外の雰囲気に。
この外環道を越えるというのが都内から郊外へ出て、遠くへ来たなと思えるポイント。
大きな樹齢の長い樹木がちらほら見えて昔ながらの道って感じで気持ち良い。
そんな雰囲気の中、武蔵野線の線路を越えてしばらく行くと27㎞を越えたので
今日はここまでにしておいた。
(27㎞を越えた地点を往復したのに、54㎞に届かなかったのは、
 往路で旧道に入り損ねて現道を直進してしまったため。テヘ。)

補給食は3口で食べれるくらいのおむすびを5個持って行って、
30㎞、35㎞、42㎞地点で1個ずつ食べた。
風が強くて寒かったので止まると身体が冷えて撃沈するかもと思ったのと、
食べるための適当な場所(日当たりが良く風が通らないような所)がなかったので、
補給はこの3回で水もこの時だけ補給した。
ラスト2㎞地点で補給に適した公園があったけど、
あと2㎞くらい行けるだろうと思ったとたんバテてしまった。
「百里を行くは九十里を半ばとす」という言葉を思い出す。
水だけでもここで補給しておけばバテることはなかったと思うので
この経験を今後の糧としたい。

そして普段のランニングでは、出てこない違和感が膝に出た。
これは前傾気味の時になるもので、骨盤の意識が薄くなると出てくる違和感だ。
普段の20㎞くらいの距離では誤魔化せても、30㎞を越えて悪い走りをすると誤魔化せなくなる。
この骨盤の意識が薄くなってきているのは、最近ちょくちょく気になっていた。
しかし身体的には違和感が出てこなかったので、スルーしてしまっていた。
長距離走をすると、このように誤魔化せない点が見えてくるので、
やはり月に1回くらいはやっておいたほうが、ランニングの質を維持するのにも良いと思う。



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