【本郷から】日光御成道走って探索してきたよ【王子まで】 [日光街道]
スタートは本郷の追分の一里塚。
本郷の追分の一里塚。日本橋から1里の一里塚で中山道と日光御成道との追分にある。真っすぐ進むのが日光御成道、左折が中山道。ここの角の高崎屋さんは宝暦元(1751)年創業の酒店で初代は中山道の高崎から出てきたので高崎屋というらしい。 pic.twitter.com/iXUAY467gO
— 走るおむすび (@hasiruomusibi) June 20, 2020
いつかはここを左折して京都まで行くんだぜ、と思いつつ直進。
この辺りは寺社仏閣が多いので、街道歩きにはたまらないスポットかも知れない。
僕は走るので多くをスルーしてしまうのを許してね。
しばらく行くと、
駒込土物店跡(こまごめつちものだなあと)。千住、神田と共に江戸三大市場のひとつ。「土のついたままの野菜である"土物"が取引されたので土物店ともいわれた」 pic.twitter.com/uLhbPdXgxq
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やっちゃ場と呼ばれた青物市場があった場所だという。
江戸の三大市場が千住・駒込・神田とすると、縦に並んでいて今の感覚だと何か変な感じがする。
新宿とか練馬とかだと当時は田舎すぎたのかな。
もう少し進むと右側に趣きのある山門が見えてくる。
楳図かずおの住む町・吉祥寺の地名の由来となったお寺。街道に面した所は広くはないけど、中に入ると結構広く、地蔵様やら大仏様やら鐘つき堂やら二宮尊徳のお墓とか見どころが意外と沢山あった。曹洞宗のお寺さんらしく質素な感じで落ち着いた雰囲気。 pic.twitter.com/1mEpMdHhIU
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吉祥寺は元々江戸城内にあって(太田道灌が開いたという)、
駿河台へ移転したら明暦の大火で類焼し、
その後の区画整理で門前町は現在の武蔵野市の辺りに移転させられたのが、
現在の吉祥寺という街の名前の由来だそうな。
現在の駒澤大学(前曹洞宗大学)の前身である「学林」があった由緒あるお寺さんなんだそう。
さっき別れた中山道沿いのご近所には東洋大学もあるしランナーに縁がある土地なのかも!
大仏様もおった。
鐘撞き堂。
二宮尊徳のお墓もあったよ。南無南無。
禅宗としては歩きながら本を読むのは良くないと思うけど大人だからそこは突っ込まない。
吉祥寺を出て進んで行って駒込駅を越えると道は一旦下ってからまた坂を上がっていく。
左手に古川庭園を見ながらT字路にたどり着くと、そこも元は古道だったらしい。
わかりにくいけど、画像右下から坂を上がってきて、画像右下からくる古道を合流。
しばらく行くと、
平塚神社。太田道灌に滅ぼされた豊島氏の平塚城があったという。かつての武蔵国の豊島郡衙(律令時代のお役所的なものかな)もこの辺りにあったらしい。 pic.twitter.com/ruCsmoPEoF
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とか
西ヶ原の一里塚。両塚とも残っているのが嬉しい。渋沢栄一のお陰だとどっかで読んだ。 pic.twitter.com/RZliPk59rW
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とかがあって、如何にも古道らしい。
この西ヶ原の一里塚の横の鳥居は七社神社で境内からは縄文・弥生土器が発見されていて、
(ちなみに先ほどの平塚神社隣の滝野川公園付近からも出土されている)
太古の昔から人々が暮らしていた所なんだなー、と思いをはせる。
ここの一里塚から石神井川へ向かって少し下っていくと右側に桜で有名な飛鳥山公園。
画面奥から手前に向かって日光御成道を進む(画像1)。王子付近で右手に飛鳥山を見ながら巣鴨方面から来た都電と合流。反対を見て、画像2の青看板の直進気味に左折するのが現道だが、旧道は石神井川を渡るため右に折れて音無渓谷沿いを下る。 pic.twitter.com/qci3dj7a9Y
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現道は音無橋で石神井川を渡る。
江戸時代にはそんな橋を架ける技術はまだなかったので、旧道は河道付近まで下りるために右折。
坂を下りてJRのガードの手前の、一見さんは入りづらそうなこの小道がかつての日光御成道です。道を間違えたかと思ったよ。 pic.twitter.com/2aU8s0ZWr8
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この小径がかつての街道で、しかもお殿様専用だったとか信じられないw
小道に入ってすぐに石神井川を渡る。石神井川は駅の下を通って90度流路を右に変えながら駅の反対側に都電の隣を流れてゆく。 pic.twitter.com/aXK1iRBsQO
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因みに現在の石神井川の河道は、
現道が渡る音無橋の手前から暗渠で飛鳥山の地下を通ってこの旧河道と合流している。
この石神井川を渡って赤羽の飲み屋街っぽい路地を抜ける。
川を渡るために下ったので、また台地へ上る。
橋の跡を越えて坂を上っていくと、現道と合流する。
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と今日はこの辺りまで走ってきた。現道はいつも走ってるけど、旧道を通るのは今日が初めて。意外と楽しめた♪ pic.twitter.com/YhS9Ynn6vM
現道と旧道が川を渡る地点で別れている所は、成増辺りの川越街道でも見られたのを思い出す。
車で走りやすいように直線的で傾斜をゆるくするために掘り割りしたり橋を渡したりと、
現代土木技術の凄さを見せつけられると共に、
人力のみの技術で自然の地形を上手く利用した旧道が見られるというのは貴重なのかも。
なんてことを感じられて楽しかった。
この日は走る方も上手く走れて、中々良い日だった♪
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